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1984年のティレルは全戦・全ドライバーが失格になっています。何があったのですか?
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1984年R8アメリカ東GPでティレルのM.ブランドルが2位に入ったのですが、レース後の車検で水タンクの中から「炭化水素」が検出され、さらに「大量の小さな鉛製ボール」が発見されました。そのため、レース結果は暫定のまま、タンクの中の水が詳細な検査に回されました。
検査の結果、炭化水素はエンジンパワーを増強する付加剤の可能性があることが判明し、燃料のレギュレーション違反が疑われました。加えて、水タンクを軽くした状態でレースのほとんどを戦い、レース終了直前にピットイン、水と鉛製ボールを注入するという手段で最低重量のレギュレーションをクリアしようとした行為が疑われました。
約3週間後の7/18、FISA執行委員会はティレルに対し1984年のチャンピオンシップからの除外(全戦失格)と全獲得ポイントの削除という裁定を下しました。オーナーのK.ティレルは控訴しましたが結局オランダGP後に敗訴し、処分が確定しました。
1984年という年はターボエンジンが台頭しており、(唯一)自然吸気のエンジンを使っていたティレルはかなり苦しかったようです。この問題でアメリカ東GPの2位の記録を失ってしまったM.ブランドルが次に表彰台に乗るのはなんと8年後の1992年のことになります。
(2004-10-23)